AX 2009年08月17日 - 徒然日記
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深イイ話は何故続く

 
 最初見た時、こりゃ長くないだろうな・・と思った

 思ったのだが、未だ続いてる

 この番組が始まる前までは、島田紳助は嫌いでは無かったのだが、この番組を見るようになり嫌いになった

 理由は紳助があまりに独裁的で、押しつけがましい所。

 自分が「深イイ」を押し、他の出演者が「う~ん」を押した時、紳助は延々と何故この話が深イイのか講釈を垂れ始める。

 聞いてるこちらとしては、余りにもこじつけがましくて、しつこくて、いい加減うんざりしてくる。

 「う~ん」を押した出演者も、紳助の話の後では「深イイ」を押さざるを得なくなり、付和雷同的に「深イイ」に変える。

 こんな事の繰り返しで終始してしまう番組なんぞ長くはないと思ったのだが・・・何故続いてるんだろう。

 (嫌なら見なければいい。とも思うが、その後に放送される「しゃべくり007」が見たいのと、「深イイ~~」の時間帯に余所ではもっと下らない番組しかやらないので無理矢理見てる訳で。)

 それで、今日もその「深イイ~~」があるのだが、何と2時間枠の特番である。

 それも、ゲストと言えば、久本雅美

 不思議と最近TVで久本雅美の露出度が増えた気がする。(選挙と関係があるのだろう)

 創価学会員というだけではなく、たとえ学会に入って無くても、この人は何処か胡散臭くて、笑い方もわざとらしくて見ていて不愉快だ。

 不愉快に感じる物は見る必要がないので、久本の出ている番組にはチャンネルを合わせないのだが、紳助は反創価と言われているが、その紳助の番組に久本が出る率が高くなってきてる事が不思議である。

 それも、お客で来てる割には仕切りまくっていて、何か言う度にカメラが自分を捉えているか確認する視線がキモイし計算高さ丸出しだ。

 他に幾らでもタレントは居る筈なのに、あえて創価タレントを使うTV局・・・

 無料じゃ出してもらえないだろうから、創価も余程無駄遣いしているのだろうが、視聴率が取れなければ溝に捨ててるようなもの。

 この悪循環が無くならない限り、視聴率も上がらないだろうし、番組の低レベル化も止まらないだろう。

 

 

 

 
 
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硫黄島からの手紙

 先日「硫黄島からの手紙」を見た。

 公開当初から気にはなっていたのだが、映画館に足を運んだ友人から「あまりにも人がバタバタ倒れるシーンばかりで最後まで観られなかった」と聞き敬遠していた映画だった。

 見るに至った経緯には、NHKが特集した「日本海軍400時間の証言」を見た事で戦争に対する関心を持たないといけない気がした事もある。

 2時間強の間、確かに友人が言ったように、バタバタ兵士が亡くなっていく・・・

 人間的に如何かと思われる上官の下に付いた兵士達は、無益な玉砕を強いられる。

 無降伏主義を貫かんとする日本軍は、客観的に見て全く望み無しの状況下においても、無駄な反撃をする。

 不条理極まりない世界

 何かに付け「天皇バンザイ」と叫ばせ、斬り込みに向かわせる。

 ウィキペディアによると、「バンザイ突撃を受けた米軍など連合軍兵士は、これを狂信的な兵士達の理解不能な自殺行為として恐れた。銃剣や軍刀を振りかざし、鬨の声を上げて突進してくる日本兵の姿に恐怖し、精神的な後遺症を負う兵士もいたことが記録されている。」との事。

 戦争というものは、まさに死に取り付かれた狂信的な人間の集団がお互い殺し合うだけのものでしかない気さえしてくる。

 この場面を見ていたら、この狂信的な兵士達がカルト集団の信仰者達とダブった。
 (この場合、天皇が池田に置き換えられるのだが)

 映画では二宮和也が生還者を演じていたが、実際はどうだったんだろう‥

 疑問に思い検索で探してみた。

 そして、生還者の手記から、当時の様子と心情が克明に綴られたページを見つけて午後一杯熟読していた。

 祖父の硫黄島戦闘体験記

 これを読んで、兵士達への自分の浅はかな思い込みを反省し、現在の自分の在り方も考えさせられた。

 決して兵士達は心から望んで命をお国に捧げていた訳ではなかったのだ。

 昔も今も人は人、変わっても変わらないものがある。

 でも、日本人というのは、「個」というものを持ってはいても、圧力に弱く、大きな波に流されがちな人種なんだな・・と感じる。

 だからといってそのままでいて良いわけがない。

 特に、昨今の日本は、在日が大きな顔をして日本名を堂々と名乗りながら生き、韓国の下僕である民主党が大洞を吹いている。

 そして、勢力は弱まってきてるとはいえ、悍ましい創価学会が未だ存在している。

 64年前の日本ではあり得なかった日本になってしまっている。

 この映画や手記を教訓に、「個」である揺るがぬ自分を持ち続けていかなければいけないと改めて感じた。